平成最後の日。自分の平成でのターニングポイントを振り返る!




平成最後の日に人生を振り返る

平成31年(2019年)4月30日は平成最後の日です。

今回は、他人には全く関係がないことを記事にします。

 

ぼっち税理士と名乗っている、齋藤幸生という

個人の平成を振り返ろうかなあと思っています。

 

現在、36歳となっているので、5歳から36歳までを

平成とともに生きてきました。

 

つらかったこと、悲しかったこと、

自暴自棄になったこと、うれしかったこと、

安心したことなどなどをつらうらと

書いて行こうかと思います。

 

それでは、スタートです!!

 

平成の自分を振り返って

平成の自分を振り返ろうかと思います。

小学生を振り返る

まずは、小学生時代ですね。

 

この頃は、恐らく集団行動のストレスだったのか、

爪を噛んだり、おかしな食生活をしていましたね。

小学2年生あたりから太りだしました。

 

爪も噛んでしまっていて、これがずっと

続きましたね。

 

後は、中学受験も良い思い出です。

小学6年生になった頃でしょうか?

 

親から中学受験の話をされて、

やることになったと思います。

ちょっと記憶は定かではないですが。

 

勉強をやってみて思ったことは、

始める時期が遅かったことです。

 

中学受験は当時4年生から始めるそうで、

塾に少し通ったのですが、難しいという話を

されたことを覚えています。

 

そのあとは、父から受験勉強を教えてもらうように

なったのですが、選択された教材が難しかったですね。

 

結果としては、全く歯が立たず、勉強自体が苦手になり、

これが中学にまで影響しました。

 

中学生を振り返って

中学生の時には、自分が注目されたい症候群のように、

見栄っ張りな性格となってしまいました。

 

まあ、中二病とはよく言いましが、

そんな感じです。

 

友達のグループで、注目されたくて、

うそを行ってみたり、見栄を張ってみたり、

そんなことをしていたら、

 

いつしか、友達のグループ内でいじめがはじまり、

不登校になりました。

 

中学3年生の春から夏にかけては、我慢していましたが、

精神的に参っていたのでしょう。

 

原因不明の腹痛などに見舞われました。

どうしようもなく、3年の途中に転校しました。

 

まあ、逃げたわけですが、転校先では、

私がもともと在籍していた中学の別の生徒と

転校先の中学でどうやらもめた事件があったらしく、

転校してくるな的な感じの説明をされましたね。

 

学校の先生からすれば、面倒な生徒を

別の中学から押し付けられた!

ということなのだと思います。

 

子供ながらに、学校は信じられないと

確信した瞬間でした。

 

まあ、学校が自分を守ってくれると

過度の期待をしていた私が悪かったですね。

 

また、変な時期に、転校してしまったので、

なんで転校したの?と聞かれました。

 

何日か通って、ある同級生から、いじめられてたから

転校してきたの?と聞かれて、狼狽して、

知られたくないことを知られたと思い、

その日からまた、不登校になってしまいました。

 

因みに、このころからギターを始めて、

不登校期間中にギター練習三昧でした。

 

旧大検時代を振り返って

さて、続きです。

不登校になってもなんでかはわかりませんが

中学は卒業できました。

 

卒業アルバムは持っていません。

まあ、ほとんど通学していませんし、

担任の先生は、1ヵ月に一度様子を見に来る

といった程度で、私は顔を合わせませんでした。

 

高校受験を控えていたので、

親としては心配だったのでしょう。

 

家庭教師を付けてくれて、勉強をしていました。

その時に、ちょっと風変わりな家庭教師の大学生に

話を聞いていもらって、ちょっと立ち直りましたね。

 

この時にようやく、前を向けたような気がして、

建設関係の高校卒業資格をもらえる専門学校の

様な所に通うことになりました。

 

しかし、生徒はみんな不良というか、

未成年でたばこを吸ったり、擦れている子供たち

ばかりを集めたような学校で、合いませんでした。

 

仕方がないので、そこを辞めて、旧大検で

大学を目指すことにしました。

 

そこから、予備校に通って勉強していって、

講師の人にも恵まれて、何とか旧大検をクリアーして、

大学へ行くことができましたね。

 

このころから、勉強への苦手意識は無くなり始めて、

自分で本を読んだり、勉強したりしていました。

 

また、ある程度ギターを弾けるようになったことで、

バンド活動的なこともしていましたね。

 

ただ、バンド活動をしてみて、自分の実力不足を

痛感したので、バンドを辞めて、洋楽のコピーを

始めることになりました。

 

 

大学生時代~フリーターへ

大学生になり、軽音部に入り、バンド組んで、

活動をやって行ったところ、

 

当時、活動していたバンドを首になって、

自分で曲作りを本格的に始めました。

 

それを1年くらいやってみて、

ある音楽事務所のオーディションに合格したのが

大学3年になった頃ですね。

 

ここで、さらに音楽の勉強とボーカルレッスンを

受けることになって、現在のバンドのベース、

ドラムと会うことになります。

 

それから、就職するときには、就職氷河期

ということもあり、フリーターとして

やって行くことにしました。

 

バンドをやりながら、飲食店でバイトして、

曲を作っていく日々ですね。

 

これがうまくいけばよかったのですが、

あえなく撃沈。

 

戦略も良くなかったですね。

 

ただ、バンドを継続しながら、

税理士試験にシフトしていきます。

 

税理士試験~税理士へ

さて、24歳か25歳でちょっと記憶が定か

ではないのですが、バンドを諦めて、

税理士試験には、2年か3年、専念したと思います。

 

そのあと、最初の税理士事務所へ就職して、

実務に携わることになりました。

 

これが、昭和のような事務所で、

科目印と振替伝票で仕訳を作って、

それを会計ソフトへ入力していました。

 

仕事は自分で調べてやる方式だったので、

私の横にいた税理士の先生に聞きながら

やっていたことを覚えています。

 

なんやかんやあって、10か月で退職して、

法人税の学習に挑んだのですが、あえなく撃沈。

 

また、その事務所を辞める年の前年に父親が心筋梗塞で入院し、

しかも繁忙期も重なって、ちょっとしどかったですね。

 

そのあと、6年半の勤務となる事務所に勤務して、

無事、2016年12月に相続税に合格して、官報に載り、

2017年4月に税理士として独立開業をしました。

 

 

 

いじめを受けて思うこと

さて、それでは、ブログでは今まであまり

書く機会がなかったので、書かなかったことです。

 

いじめを受けて思うことですね。

 

まあ、良くも悪くも世の中を知らなさ過ぎた、

親に甘えていて、親が守ってくれてた

ということを実感しましたね。

 

不登校と引きこもり状態なので、

まあ半年間くらいの軽度のものでしたが。

 

この時に、何もしていなかったのではなく、

ギターの練習を半日ずっとやっていたりしていました。

 

ですから、自暴自棄ではありますが、

自分の中での劣等感、もやもや感を

ギターにぶつけていたのだと思います。

 

また、勉強をする状況に追い込まれた

ことも良かったのだと思いますね。

 

 

 

恐らく、いじめが無かったら、

普通に高校に通っていて、

大学に行けていたのか分かりません。

 

というか、高校でもかなり底辺の学校に

通学することになっていたと思います。

 

中学生当時は、なぜか、勉強しても頑張っても、

赤点ばかりとなっていました。

 

つまり、学校の勉強について行けてなかったと

思います。

 

今考えると努力の方向性を間違っていたと

思いますが、当時の私としては、悔しかったですね。

 

それが、旧大検の試験を受けていって、

合格水準が当時は40点でしたが、

 

勉強すると、普通に70点くらいは取れるので、

面白いように勉強をしていました。

 

赤点ばかり取っていたのに、数Ⅱや数Bまでやっていて、

基本的な論点をおえるやり方を覚えましたね。

 

また、当時は、高校にまるまる通っていないと

12科目の受験を要求されていたので、

 

広く浅く、しかも正確に知識を持つことが

必要になりますので、その学習もできました。

 

このように、いじめに合って、不登校、

引きこもりと経験しましたが、

 

何とか、周りの協力や運などがあって、

立ち直ることができましたね。

 

私の人生は、まさしく劣等感とマイナスから

這い上がる人生だったと思います。

 

いわば、いじめということは、ネガティブで、

逃げることをお勧めします。

 

それと、自分をいじめたり、さらに追い込む大人が

周りにはたくさんいます。

 

そういった人からは早めに離れて、

引きこもっても良いと思います。

 

ただ、いつかはそういった人たちと向き合って、

戦わないといけません。

 

別に対峙して、戦うことではないです。

逃げる選択をした当時の自分の気持ちと

戦うのです。

 

何かがきっかけとなって、

その気持ちとなればと思います。

 

税理士になって思うこと

それでは、税理士になって思うことを

つらつらと書いていきたいと思います。

 

2016年に税理士試験に合格して、2017年5月1日に

独立しました。

 

今思うことは、税理士事務所は一つの村ということです。

それも、小さな村です。

 

事務所の大小は関係ありません。

 

開拓村と言っても言い過ぎではないと

考えています。

 

なぜ、このように思うのかというと、

独立して勤務時代を振り返ると、

 

独立するとスッキリして、目の前には

広く広大な大地があるのに、

 

なぜ勤務時代は気が付かなったのだろうか?

ということですね。

 

私の場合には、自宅兼事務所でやっているので、

朝、起きてすぐに仕事をやろうと思えばできます。

 

今でもですが、平日に映画を見に行ったり、

遊びに行ったりなんてことは日常茶飯事です。

 

また、契約をしてくださっているお客様に対しても、

自分の裁量で判断を伝えることができます。

 

勤務時代は、お客様からの無理難題を言われて、

所長に報告しても、返答はかえって来ませんでした。

 

仕方がなく、私が調査で通りそうな理由を付けて、

顧問先対応をすることになりました。

 

私の先輩たちもそうやっていましたね。

なぜか、辞めた後になって、

 

あいつは自分勝手に判断した!

なんて言っているらしいですが(笑)

 

非常に勤務は私にとって窮屈で、

退屈な仕事だったと思っています。

 

ですが、税理士として独立するとそういった

窮屈さは無くなり、できないものはできない、

ということを伝えることができています。

 

その分、責任はすべて自分です。

自由ではありますが、食えない先生もいるでしょう。

 

そういったことも含めて、自己責任ですが、

頑張ってやっていると何とかなるものです。

 

私は、いじめで悲しい気持ちとなったりしましたが

いじめで逃げた後の方が、人生で大変でした。

 

高校に行っていないのですから、

マイナスから人生を這い上がるわけです。

 

そういった経験もあったことから、

頑張れたのかなあと思います。

 

誰にだって、マイナス状態から始めることが

時にはあると思います。

 

ですが、一度決めたら、迷うこと、

諦めることはしてはいけないと思います。

 

最後まで、突き詰めてやって行くことが

大切だと思います。

 

 

ありがとう平成!

まあ、恐らく、10代の私の経験は、

通常の10代の人よりも多少ヘビーな経験を

していると思います(笑)

 

自分なりに、一生懸命生きた時代が平成であり、

ありがとう平成!と言いたいと思います。

 

まだまだ、未熟な自分ではありますが、

平成の時に頑張った自分だからこそ、

今の自分がここにいます。

 

ですから、努力の方向性は間違っていないのだと

思っています。

 

ただ、時勢や時流、経営者としての階段を上がっていくと

気持ち、考え方がアップデートされていきます。

 

古いものはすべてダメではないですが、

新しいものにもどん欲に取り組んでいくことも

大切だと思います。

 

特に税理士業界は、保守的な業界だと

思っています。

 

会計ソフト、税務ソフト、今後はAIへ

移行していく過渡期が今なのだと思います。

 

そんな面白い時に生きることができて、

良かったと思っています。

 

 


編集後記

今日は、動画撮影を行います!

絶対撮影します!

 

もう宣言しておかないと、

やるやる詐欺になってしまいますので(笑)

 

 

ではぼっち税理士の齋藤でした~
それではまた👍

 

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この記事は、その時の状況、心情で書いています。
また、法令に関しては、その後改正された場合には、
異なる取り扱いになる可能性があります。

 

 




ABOUT US
齋藤 幸生税理士・行政書士・経営革新等支援機関・ブロガー
都内税理士事務所にて7年間の勤務後独立。 2017年に税理士として独立後は建設業、フォワーディング業、IT業に特化した税務を行っています。また財務支援として資金繰り支援(会社の資金繰りと資金調達支援)を行っています。行政書士としては建設業許可、利用貨物運送事業の許可業務に特化しております。